もうすぐ一万円札を引退することになった福沢諭吉。
福沢諭吉といえば、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉で有名ですね。
しかし、この言葉をもって「福沢は平等主義者だ!立派だ!」というのはいささか早計です。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
というのは、この言葉は別に福沢諭吉が言った言葉ではありませんから。
このことは『学問のすすめ』の冒頭の一文でわかります。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
最後に「と言えり。」が付いています。これは「~と言われてる」という意味です。つまり、福沢は「こんな風に言われてるよね!」と書いただけなんです。
じゃあ、一体「天は人の上に人を造らず~」という言葉はどこから来たのか、となるわけですが、どうやらアメリカの独立宣言じゃないか、という説が有力みたいですね。
トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカの独立宣言には「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、創造主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命・自由、および幸福の追求が含まれることを信ずる」という一説があり、福沢は、この文章をイメージしていたのではないか、と考えられているのです。
この件については慶應義塾大学のサイトに載ってたような気がするんですが、みつかりませんでした。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の続き
『学問のすすめ』では当然この言葉の続きがあります。「人は平等って言われてるよね。でもね…」と続くわけです。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。
「平等って言われてるのに、世界を見てみれば、頭がいい人がいて愚かな人がいて、貧乏がいて金持ちがいる、雲と泥のような違いがあるのは何でや?」と福沢は書いています。
全然平等ちゃうやんなんでやねん、と福沢は思ったんですね。そして、福沢はその理由を勉強をするかしないか、というところに見出したのです。
人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人げにんとなるなり。
確かに人は生まれながらにして平等だ、ただ学問をする人は立派になるし金持ちにあるけど勉強しない人は貧しくなるし下人になるのだ、と福沢は言うのです。
だから、みんな勉強しろよ!と言いたいわけです。
なぜみんなに勉強して欲しかったのか
ここまで読んで「なるほど勉強好きで慶應義塾を興した福沢諭吉らしい考え方だね素晴らしいね」と思った人は、いい人ですね。
しかし、こういう頭がいい人が素晴らしいことを言うときは大抵ウラがあるのです…。
実は、福沢諭吉が有名になったのはこの『学問のすすめ』が最初ではありません。福沢はそれより前に『帳合之法』という書物を訳したことで有名になりました。
『帳合之法』とは、簡単に言えば簿記で企業の利益を計算する方法を書いたものです。
ところがこれ、全然実務レベルで取り入れられない。
福沢諭吉はそれにかなりご立腹だったみたいですね。
「何で?何でこんなにいいもんを訳してやったのに使わないの?バカなの?ちゃんと勉強しろよ!ていうか何で勉強するのかって根本のところわかってる?バカだからわかんない?じゃあ教えてやるよ!」と思って書いたのが『学問のすすめ』ということです。
つまり、『帳合之法』をよろしくね!という宣伝のために書かれたのが『学問のすすめ』だ、といっても過言ではないのです。そして実際に、『学問のすすめ』の中で『帳合之法』を解説してる部分って多いんですよね。
最後に
福沢は「これからは資本主義。資本主義では勉強するやつが金持ちになって勉強しないやつが貧乏になるのは当たり前」と明確に感じていた人です。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉で始まる『学問のすすめ』で福沢が伝えたかったことは、
「カネになることをしっかり勉強しろ、その機会は平等だ!だったら勉強して勝て!」
これなんじゃないでしょうか。
フルコミ営業マンであるぼくには響く言葉です。
努力もせずに平等だ不公平だとブチブチ言ってるだけだったら、沈むよ。そんなの言ってるヒマあったらカネを稼ぐ努力をしよう。今の日本だって、資本主義が民主主義の皮を被らなくなってきてむき出しになってきたからね。死にたくなかったら勉強だ。
とりあえず、『学問のすすめ』を読もう。
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