どうも、ゲームばっかりやってるオッサンです。
ちょっと前に、「ゲームで時間を潰せる奴が信じられん」という」増田(はてな匿名ダイアリー)があがってましたね。それに反論する増田さんも登場したりして、ちょっとした話題になってます。
・ゲームで時間を潰せる奴がちょっと信じられない
・ゲームが好きで一時期ゲーム会社にも入った私からの意見。 少し長くなるが..
まぁ定期的に出てくるネタではありますけど、それに対する意見をゲーム好きとして買いとこうかなぁと思ってるわけです。
結論を言っちゃうと、「そんなのどっちでもいいじゃない。そんなのいいからゲームやろうぜ。え?いやなの?じゃあいいや。ゲームはゲームが好きなやつがやろうぜ」ってカンジです。
あ、これは最初の増田さんの反論記事ではありません。それこそ無駄。
2つの増田
ゲームは無駄!
「ゲームで時間を潰せる奴がちょっと信じられない」という記事では、ゲームのデメリットがそりゃまぁ的確に指摘されています。ゲーム好きとしては「あいたぁ」ってなっちゃうところです。
曰く「値段が高い」、曰く「時間がかかる」、曰く「話題性の範囲が狭い」、曰く「実生活の役に立たない」。
「そりゃゲームだもの」といったことばかり書かれていますが、ゲームをやらない人にとっては無駄なんでしょう。
これ書いた人は、「お金を無駄にしたくなくて」、「時間を浪費したくなくて」、「ひとつの広いコミュニティだけに所属したくて」、「自分に利がないことは一切やりたくない」人なんでしょうね。だってそこを批判してますから。
ああ、ダメです、アナタはゲームに一切向いてません。ゲームに興味を持てなくて良かったですねとしか言いようがない。
ゲームは素晴らしい!
一方、「ゲームが好きで一時期ゲーム会社にも入った私からの意見。 少し長くなるが..」のほうには、ゲームのメリットの一面が最大限書かれていると思います。この増田さんは『クーロンズゲート』というゲームで新しい知見を得て、素晴らしい体験をゲームでして、ゲームが好きになったようです。
ゲームだって能動的にやれば実生活にフィードバックはあるんだ、ということがよく分かりますね。これを声を大にして言ってくれるのはゲーム好きとしては非常にありがたい。
この方が書いているように、本や映画とは体験の質が違う。どこかで読んだんですが、例えばビルから人が飛び降りるとして、飛び降りる映像を見るのと自分がボタンを押した結果人が飛び降りるのとでは、感じ方が違うのは当たり前。ゲームは、その「自発的にビルから飛び降りる体験」が出来るんです。そんな体験をするには、今はゲームが一番でしょう。
ゲームでは実生活では不可能な体験も能動的に出来る、それこそゲームの最大限のメリットでしょうね。
ゲームは無駄。それでいい
ゲームは素晴らしいことも、『クーロンズゲート』で得た増田さんのステキな体験も、「ゲームは無駄」と考えてる人には一切響きません。もしかしたら理屈ではわかるかもしれませんけど、実際にゲームをしないと分かりようがないからです。
実際、このネタって定期的に出てくるじゃないですか。その度に一方が無駄といい、一方がそんなことはないと反論する。絶対に埋まらない溝。
しかし、ゲームはあくまでも娯楽であり、趣味です。メリットがこう、デメリットがこう、なんて関係ないでしょう。もっと言えば、「ゲームをやるとこんなにいいことがある」というのも「ゲームはこんなだからすべて無駄」というのも、両方嘘です。
いいことばっかり言ってもしょうがないし、悪いことばっかり言っても意味がない。ゲームが好きならやればいいし、ゲームが嫌いならやらなきゃいい。それだけ。
なのに、なんで自分の主張を声高に言い、わざわざそれに反論するのか。埋まらない溝の向こうにいる人の意見なんて無視すればいいのに。そんな暇があったらぼくはゲームをしたいし、ゲームが嫌いな人は別の自分の好きなことをすればいいじゃない。そういう意味では、「ゲームは素晴らしい」と反論する人もちょっと違うなって感じます。
大体、好きなことをやるときにその利点や意味や意義なんて考えてるヒマなんてないでしょう?
え?ぼくがゲームをする理由?
楽しいからです。
それだけ。
最後に
さぁ、ゲームやろ。