このブログを読んでくださっている方は承知のことかも知れませんが、ぼくには3人の子供がいます。
子供といってももうすでに大きく、上から20歳(男)、18歳(男)、16歳(女)という構成です。このブログを始めたときは上の子が15歳でしたから、なんというか月日の経つのは早い。
(RENE RAUSCHENBERGERによるPixabayからの画像)
偉い我が子たち
で、ぼくが彼らと同じ歳だったときのことを考えて我が子たちを見ていると、みんな偉いなあ、と思うのです。いや、これは親バカでも何でもなく。
長男は来年社会人になるのですが、もう進路を決めてそこに突き進んでるのがエラい。なりたいものが二転三転した経緯があり、決して目標としていたことができるわけではないけれども、早々に就職先を決めてました。エラい。
次男は高校3年間ずっと成績優秀者と認定され、推薦で大学受験を突破しすでに入学後の予習をしている。エラい。
娘は娘で結構我が強くて人間関係に悩むことが多いんですが、それでも小学校から続けているバスケでずっと頑張っている。エラい。
三者三様ですが、本当にみんな偉いと思います。控えめにいって、自慢の我が子です。
偉くないぼく
翻って我が事を思い出してみると、これが恥ずかしいほどにヒドい。
元々、中学までは勉強しなくてもある程度の成績は残していたのですが、それで「自分ほど頭が良い人間はいないのでは?」なんて考えるようになっていました。それが高校に入って徐々に苦戦するようになり、進路も決めず潰しがきくからと理系クラスに進学したのが運の尽き。のちに2浪して歴史で大学に入るほどの文系アタマでは到底授業について行けず、卒業も危ぶまれる完全なる落ちこぼれに。
それでも「勉強しなくても成績は良かった」という何の役にも立たない事実にしがみつき、自分が落ちこぼれと認めることができずプライドも捨てれず「やれば出来るんで、ぼく」といった雰囲気だけを身にまといそのプライドを保っていました。典型的な「なんちゃってインテリ」の出来上がりです。
こういうやつは「仕事できませーん!」と公言するバカよりも世の中では役に立ちません。努力ができないくせに自分のプライドは守る、その為にはその場しのぎのウソも平気でつくという、社会ではクソ役に立たないくせに扱いづらい人間に成り下がっていました。
なんて偉くないんだ。自分で書いてて昔の自分をボコボコにしたい衝動に駆られています、今。
しかしそれは表に出さない
というわけで、我が子たちは非常に偉いわけですが、それを見てぼくは「偉いなぁ」と常々思っているわけです。偉いから。同じ歳だったころのぼくとは比べものにならないほど偉い。
しかしぼくはそれを見て本人たちに「お前ら偉いなぁ」とは口が裂けても言えません。
それをいうときは、ぼくが父親をやめるとき。ぼくはそれをそれぞれの子供たちが成人したときと定めているのですが、それまでは絶対に偉いと思ってることを表には出しません。
ぼくは、一番上の子が出来たときに「やればできるけどやらないだけ」と言って現実から逃げ回って守ってきた自分のちっぽけなプライドを捨てました。そうすることでツルンと出てきた本当の自分は、プライドを守るために出来上がったクズでゲスでどうしようもない偉くない自分でした。その自分に直面しました。
自分がそんな人間だと認めちゃったぼくは、「おれは親父だ!」と思いっきり踏ん張らないと父親として子供の前に立てないのです。だから、子供たちは偉いと本人には言えません。
言ったら、崩れる。
先日、20歳の長男には言いましたが。
一番下の娘が20歳になるまであと4年。その4年間は、踏ん張らなくてはいけません。
なんてことを考えて先日こんなツイートをしちゃったんですけどね。
自分が同じ歳だったときのことを考えると、うちの子供たちはすごい。
— コバヤシマサキ@はてなブログマン (@Masa_kobayasi) December 27, 2020
しかし、そう思ってることを表には出せん。
俺は親父や。
最後に
だから「キミたちはスゴいねぇ」と常に我が子に言いながら育てているお父さん方はすごいなぁと思います。
きっと自分に自信があるんでしょうね。羨ましい。