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親は自分のことを棚に上げないと自分の子を叱れない

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子供を持つ人にしかわからないかもしれないけど、子供を叱るときってなんだか違和感ないですか?

自分のことを棚に上げて、「どの口が言ってるんだ」とどうしても思っちゃう。自分にも身に覚えのあることを叱ってばっかりで。

父親と息子

長男を叱ることが増えた

最近、長男を叱ることが増えてきました。

彼ももう今年19歳になるから「もう子供じゃねぇ」という感覚があるんでしょう、何かと好き勝手なことをする。もうほぼほぼ成人ですから、ぼくも大抵のことは黙って見てるんですけど、ときどき看過できないことがあります。

ぼくが子供を叱るときの理由は2つで、「人に迷惑をかけそう」と「敬うべき人を敬わない」の2点。それ以外のことはまぁ口出ししません。

幼いときからそれは徹底してるつもりで、そうなると今まで滅多に叱ることはなかったんですが、どうも最近、ウチの長男がこの2つに抵触するんです。

特にカミさんへの口のきき方がなってないときは、我ながら烈火のごとく叱っちゃいます。

自分を棚に上げて叱る

親は我が子を、叱るときは叱らなければなりません。当たり前です。そしてそのとき、冒頭に書いたように、ぼくはずっと「どの口が言ってるんだ」と思っているんです。

だって、身に覚えがありまくるから。

彼の精神がオトナになってきて、いちいち親になんやかんや言われるのが鬱陶しくなってるのは理解してますし、要は彼が成長してるからそういう態度を取るんだ、そういうことをするんだ、というのはわかってるんです。

だから「これ言われたくないだろうな」「自分もそうだったからな」と思ってしまう。だから「お前がそんなこと言える立場か」という思いがずっと心のどこかにある。

しかし、どの親もそうでしょうけども、叱るポイントっていうのは「子供をちゃんとした人間にする」という観点に沿ってるはずです。だから、かつての自分がその点についてダメダメだったとしても、叱るときは叱らなければならないのです。

つまり、自分のことを棚に上げないとだめなんです。お前が言うな、と自分にツッコみをいれつつ、ちゃんと叱らなければならない。

自分と同じ轍を踏ませたくない

特にぼくは、「どの口が言ってるんだ」と思う度合いが他の人より強いと思います。

それは、ぼくが人並み以上にクズだったから。

クズなのに結婚しちゃって、子供作っちゃって、家族にはかなり迷惑をかけてきたから。だから、ぼくの子どもたちにはぼくのようなオトナになって欲しくない、という気持ちがかなり強いんですが、だからこそ「どの口が言ってるんだ」という思いがずっと身体にまとわりつくような、いやなカンジがある。

しかし、特に長男は、困ったことにぼくのダメなところをそのまま引き継いで出てきたようなんです。それゆえに無茶苦茶愛おしいんですが、ほっとくとぼくみたいになっちゃう可能性が高い。というか、ぼくみたいになっちゃうんじゃないか、という恐怖がある。

もしぼくが、自分で「ぼくの人生は立派で素敵だ!」と自画自賛できるような人生を送っていたら、逆に叱れなくなっていたかもしれない。ぼくのようなクズになるという想像ができなかっただろうから。

逆にもしかしたら、自分の人生に満足してる人って、我が子を叱る観点が違うんじゃないかな。「そんなんだったら俺のような立派な人間になれないぞ!」とおよそクズが口に出せないようなセリフで叱るのかもしれない。

悲しいことだけども、ぼくはぼくのような人生を我が子には歩んで欲しくない。これは、自分がクソみたいに生きてきたツケ。クソでクズな人間だったからこそ、一生懸命自分を棚に上げて叱るしかないんです。

最後に

子どもを育てる限りは、叱らないとかはありえません。そのときに「そんなこと言えるほどお前は立派なのか?」と自問していては叱るべきときに叱れません。

だから、親は我が子を叱るときには自分のことを棚に上げるしかないのでしょう。

「自分はどうだったんだよ!」と口ごたえされたら「うるせええええい!」と押し切るしかないんです。

なんか、ごめんなさい。