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上沼恵美子はスゴい漫才師だった

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とろサーモンの久保田、スーパーマラドーナの武智が放送後に配信したインスタライブで、M-1グランプリの審査員だった上沼恵美子さんの審査に(名前は出してないけど)激しく批判して、Twitterで謝罪するという非常にダサいことになってますが。覚悟ないなら言うなよ。

しかし、いろいろ見ていると上沼恵美子さんの審査に対する批判は他にも散見されます。

とるに足らない意見が多い中、この記事はキチンと「なぜダメなのか」が考察されていて良いと思います。

上沼恵美子
(画像掲載元:https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1690231/

それはさておき、特に関西以外にいらっしゃる若い人の中には「そもそもあの偉そうなオバチャン誰なん?」ということも多く書かれていましたので、ここでは上沼恵美子さんがいかなる大阪のオバチャンなのかを書いていこうと思います。

上沼恵美子とは

上沼 恵美子(かみぬま えみこ、1955年4月13日 - )は、日本のタレント、歌手、司会者、ラジオパーソナリティである。本名同じ。旧姓、橋本(はしもと)。

兵庫県三原郡福良町(現:南あわじ市福良乙)出身。上沼事務所所属。帝国女子高等学校大和田校(現:大阪国際大和田高等学校)中退。

引用元:上沼恵美子 - Wikipedia

上沼恵美子さんは、大阪を代表するローカルタレントです。「西の女帝」なんて呼ばれて、関西では数々の番組を持ち、出演する番組は常に高視聴率を記録しています。

派に衣着せぬ軽快なしゃべりが持ち味で、その様はまんま大阪のおばちゃんといった感じですが、そのしゃべりは笑いをとるためにかなり計算されていると思われます。

海原千里・万里

父親の影響で演芸好きな一家で育っていますが、上沼さんは成長するにつれ歌手を志望するようになりましたが、漫才師としてデビューが決定していた姉の相方が逃げてしまったため、急きょ中学を卒業すると同時に海原千里・万里の海原千里として漫才師デビューしました。

そうなんです、上沼恵美子さんは歴とした漫才師だったんです。

しかも、デビューした年に上方お笑い大賞銀賞を受賞、女子高生なのに(のちに退学)その話術であっという間にスターになりました。2年後にはNHK漫才コンテスト優秀敢闘賞を受賞。

得意の歌やモノマネを生かしたスピード感ある漫才は革新的でしたし、そのネタは今でも誰もそのスタイルを真似できないほどの高みにあるといっていいと思います。

当時のネタの動画とかないかなーと探してみたらありました。ヤバイ面白い。

ネタは当時のヒット曲やCMが元ネタになっていてわからないものも多いと思いますけども、それは時代やからしょうがない。テンポ、間、声を感じて欲しい。これが“芸”なんだと思います。

1971年~1977年の短い活動期間でしたが、その人気はホントにすごかった。時代を駆け抜けたってカンジです。

最後に

上沼恵美子さんは、ただのおばちゃんじゃなかったってことで。偉大な漫才師だったんです。

でもまぁそれも40年前。

当時の漫才と現在の漫才とはやっぱりギャップが大きくあるのでしょう。しかし、上沼恵美子師匠は、漫才師としての頂点からの景色を知っている数少ない“芸人”のひとりなのは間違いありません。