旧日本陸軍第五方面軍司令官だった樋口季一郎陸軍中将の銅像が、淡路島の伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)に建立されることが決まったそうです。
なるほど、彼の功績を考えれば当然でしょうね。
樋口季一郎の功績
ぼくはこの樋口季一郎という旧日本軍の軍人さんが昔から好きなんですよ。なんというか、爽やかな人柄に惹かれちゃいます。
旧日本軍の軍人さんって、やっぱりイメージ悪いじゃないですか。無能でクズ、みたいな。インパール作戦の牟田口廉也中将とか、水木しげる先生のエッセイ漫画に出てくる上官とか、司馬遼太郎先生に「国を守るために国民は轢き殺す」と言った人とか、ロクなもんが居ない。まぁ、そういう人のお話が後世に残るので大多数がそうだと思っちゃうのもあるし、戦時中の軍人なんて日本軍に限らずそうなっちゃうのかもしれませんけども。まぁでも、どこの国も軍隊なんて人を殺すために集まってるんですからね、所詮。何かがおかしくなっちゃうのは仕方がないことかもしれません。
その中で正気を保って人道的な振る舞いが出来た人ってのはものすごい精神力で素晴らしいと思うんです。その代表的な人物ですね、樋口季一郎中将は。
その功績を、ザックリと書き残しておきたい。
ヒグチ・ルート
樋口季一郎中将の功績といえば、まずユダヤ難民の亡命の手助けをしたことを挙げたい。
樋口さんは元々ユダヤ人には同情的で、関東軍の元で行われた極東ユダヤ人大会で同盟国であったドイツのナチのユダヤ政策を公然と批判してたりしたんですが、ソ連のオトポールまで逃げてきていて満州国の外交部により足止めされていたユダヤ人の満州国の通過を許しました。食べ物や衣類、燃料や医療なども施し、南満州鉄道総裁松岡洋右に直談判して特別列車でユダヤ人を上海に脱出させたのです。
この脱出路はユダヤ人の間で「ヒグチ・ルート」と呼ばれ非常に頼りにされたようです。実際に何人のユダヤ人がこれにより救出されたのかは色々と記録が残ってて諸説ありますが、その大小にかかわらずその功績はゆるぎないものでしょう。それは、「命のビザ」で知られる杉原千畝に匹敵するものです。
占守島・樺太防衛
そして、ぼくが樋口中将を評価するユダヤ人救済よりも大きな功績がこれです。ソ連の占守島・樺太侵攻に対し徹底抗戦を決めたこと。これがなければおそらく北海道はドサクサに紛れてソ連に獲られてたでしょう。北方領土どころの話ではありません。
終戦直前の8月10日に突如ソ連が「参戦するわ」って日本に宣戦布告してきましたが、日本が降伏をした後、つまり終戦してからもソ連はガンガン攻めてきました。今も昔もロシアってのは変わらない。で、樋口中将は8月18日に占守島・南樺太に侵攻してきたソ連軍に対応するために「徹底抗戦せよ」と指示、そして戦いを指揮して見事防衛に成功しました。
これは本当に日本人としてありがたかったことです。「もう戦争は終わったから」と降伏したり逃げたりする選択肢もあったのですが、前述したとおりここで逃げていたら北海道は獲られていたでしょうし、現在に至るまで本州だって危険な状態だったことは間違いないですから。今、日本が今の姿であるのは樋口中将が徹底抗戦を決定したからと言っても過言ではありません。
それがゆえに戦後の極東国際軍事裁判ではスターリンにより戦犯に指名されましたが、ユダヤ人たちが世界的に樋口救済運動を広めてGHQのマッカーサーが樋口の身柄を保護することになります。
情けは人のためならず、ですね。
最後に
ユダヤ人を救い、日本を救った樋口季一郎中将。
彼をどう評価するかは人それぞれでしょうけども、ぼくはこの2点の功績は絶対に後世に残すべきだと思います。日本人の誇りのために。