みなさんの周りの40代50代くらいの野球好きのオッサンは「お腹がレーシッチ」とか言わないですか?
これ見て言ってなくても「ああ!」と気付いたオッサンは居ませんか?
お腹がレーシッチ
ぼくと、高校からの友人は言うんです。それこそ高校生のときから。
「ちょっと腹がレーシッチやから便所行ってくるわ」みたいな。
そうです、この言葉はトイレに行くときに使います。しかも、大のときに。しかも、下痢のときに、です。
下痢のときに「お腹がレーシッチ」と言うんです。切羽詰まってるときは脂汗タラタラで「レーシッチ!レーシッチ!」と言いながらトイレに駆け込むわけです。
さて、レーシッチとは何でしょう?
昔、中日ドラゴンズの助っ人外国人選手で、ゲーリー・レーシッチという選手がいました。登録名はゲーリー。
彼の名前ゲーリー≒下痢ということで、さらに直接言わずにファミリーネームのレーシッチを使っていたんですね。
つまり、レーシッチは下痢の隠語です(なにがつまりだ)。
ダジャレかよ親父ギャグかよ!ってカンジですが、当時高校生だったぼくらは平気で言っていたのです。他のやつは全然使ってなかったなぁ!
ゲーリー・レーシッチ
さて、下痢呼ばわりして大変申し訳ないので、ゲーリーについても書いておきましょう。
ゲーリーは1986年~1988年に中日ドラゴンズで活躍しました。
初年度は途中まであの阪神タイガースのバースと本塁打王争いするくらいの長距離砲でしたが、シーズンの三振もトップの105個と、まぁ豪快ながら粗削りなバッティングでした。まぁ、当時日本に来る外国人選手って大概そんなカンジの人が多かったですよね。
ところが、大型トレードで1987年にチームに落合博満がやってきます。落合のバッティングフォーム、いわゆる神主打法を見てゲーリーは「これだ!」と思ったそうです。
以後、落合のことを師と仰ぎ「オチアイセンセイ」なんて呼んだりしてバッティングは確実性を増していくことになります。打率は3割を超え、トップだった三振は51個に半減、これはなかなかすごい進歩ですよね。
第一次星野政権の優勝時に落合と宇野とともにクリーンナップを形成してたので記憶に残ってる人も多いんじゃないですか。
ちなみに、兄のデーブ・レーシッチも1年だけ広島東洋カープに在籍してました。
最後に
そういえば、書きながら思い出しましたけど、ゲーリーが腹痛でも出場したときにホームランを打って「下痢でもホームランのゲーリー」とか言われてたような気がします。
というわけで、みんなも周りに下痢を伝えるときには「レーシッチ」を使おう!