シアトル・マリナーズのイチロー選手が引退を表明しました。
これを書いている時間が2019年3月22日午前1時すぎですが、リアルタイムにイチロー選手本人の引退会見を見ています。21日の23時56分から1時間以上、イチロー選手も疲れているだろうに、おそらく最後だから、と喋ってくれています。「日本の記者って…」って見ていても思うからきっと本人も思っているんでしょうが、丁寧に丁寧に答えてくれていますよ。
で。
きっとこの会見の内容やイチロー選手のこれまでの軌跡については色んなところで色んな人が書くでしょうから、ぼくはこの会見を見ながらぼんやりと思い出していることを書いてみようと思います。
イチロー選手がMVPとなった、1992年のジュニアオールスターのことです。
あ、会見終わった。
1992年ジュニアオールスターでのイチロー
1992年、イチロー選手はプロ入り1年目の19歳でした。
この年、結局イチロー選手はウェスタンリーグで首位打者を獲得したほどだったんですが、1軍首脳陣に打ち方を批判され「ヤメロ。ゴロを狙え」と言われてたのにそれを拒否したため1軍では40試合しか出場していません。
そんな年のジュニアオールスター、イチロー選手はベンチスタートでしたが、同点の8回に代打で出場してホームランを放ちました。代打決勝ホームランです。この1本でイチロー選手はMVPを獲得したんですね。
動画がありました。
イチロー選手のホームランは6分45秒くらいから。
1992年のジュニアオールスターでのイチローとぼく
ぼくはこのジュニアオールスターをテレビで観戦してました。当時はジュニアオールスターも普通にテレビで中継してたんですよねぇ。
当時ぼくは20歳。イチロー選手のひとつ上です。何度かどっかで書いてますが、ぼくは2浪して大学に入ってるので2浪目の年ですね。
1浪に失敗したやつがイチローを見ていたんですははは。
浪人1年目でガムシャラに勉強して国公立上位の大学でもA判定もらうほどだったのになぜか失敗して腐ってた年です(どんだけプレッシャーに弱かったねん)。腐りながらボンヤリとジュニアオールスターを見ていたわけですが、同年代のやつらのきらびやかな活躍を「ケッ」と言いながら見ていたのは言うまでもありません。
そして8回に登場した鈴木選手。こいつも年下かチクショー!
しかし線が細いな。何?ドラフト4位?どうせ大したことないんやろ。なんて見ていたら、イチロー選手、パッカーンとホームランを放ったわけです。しかも、野球好きならシロウトでも分かる、明らかに才能ある打ち方で(今みてもスゲェとしか言いようがないカンペキな打ち方)。
腐ってたぼくは「スゲッ」と声を出してました。腐ってるくせに。
それで、何でだかわかりませんが「がんばろ」って思ったんですよね。そこから予備校もサボらずに行くようになったし、何とか大学も合格することになるんですが、何であのホームランを見て「がんばろう」と思ったのかは今でもわかりません。
でも、あのホームランがあったから大学に入れたのは間違いありません。これも何度か書きましたが、4年でやめたけど(アホすぎ)。
つまり、イチロー選手はぼくの人生に影響を与えた恩人なんです。勝手に思ってるだけですけど。
最後に
その後、ご存知のようにイチロー選手は数々の功績を上げて記録を打ち立て続け、引退を表明しました。
その間、ぼくは相変わらずポンコツでしたが何となく人がましく生きてこれました。あのホームランのおかげで。いやもちろんあのホームランだけが要因じゃないけども、そんなの言ったら無粋ってやつですよ。ぼくの人生のファクターのひとつなのは間違いないんですから。
そんなわけですから、イチロー選手にはありがとうと言いたい。そして、お疲れさまでした。