カミさんと娘を連れてショッピングセンターに行きました。彼女らがショッピングを楽しむ間、アッシーくんであるぼくはヒマです。そんなときは大体、電気屋と本屋に行きます。あとヴィレッジ・ヴァンガード。
そのときに、たまたま『ゲームライフ』という本が目に入りました。サブタイトルは「ぼくは黎明期のゲームに大事なことを教わった」。
その存在は知ってたし、気にはなってたけど手に取ることのなかった本です。
パラパラっと立ち読みしたら、かなりの衝撃を受けました。いつの間にか手に取ってレジにいました。
本の衝動買いなんて久しぶりです。それこそホントに何年ぶり?
しかし、ホントにそうさせるほどの衝撃を受けたんです。
『ゲームライフ』とは
「七歳でプレイしたことがぼくを変えた。それはぼくに新しい成長の方向を与えた」
パソコンが未知への扉だった頃、子どもにとってPCゲームはセンス・オブ・ワンダーの泉だった。
本書はゲームと子どもの内なる関係を新しい筆致で綴る。
引用元:ゲームライフ(Amazon)
著者であるマイケル・W・クルーンはシカゴ生まれの英文学教授だそうです。彼の人生は、7歳のときに『サスペンデッド』というコマンド入力式テキストアドベンチャーに出会って変わってしまいました。この『ゲームライフ』には、そういうコンピュータゲームとひとりの少年との関わりがかなり赤裸々に描かれています。
ゲームの批評でもレビューでもなく、そのゲームから何をどう受け取ったのか、それが人生にどう影響したのかを描くスタイルは、なかなか珍しいでしょう。
また、あまりにも赤裸々で当時の社会や時代を怖いほど感じることができるのも本書の魅力です。『バーズ・テール2』で語られる、テーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』へ母親が感じる恐怖というのは、ちょっと今では理解できなかったりするけども、それがヒシヒシと伝わってきます(当時『ダンジョンズ&ドラゴンズ』はそのブームにより子供を悪魔崇拝の道へ引き込むと話題になっていました)。
数字の力、地図の力、「ここではない」世界の創造、魔法と絶望、死について……みんなゲームが教えてくれた。
だがそれと並行して、「ぼくの中の別の部分は、人から遠ざかる方向に育とうとしていた」
引用元:ゲームライフ(Amazon)
『ゲームライフ』を衝動買いした理由
で、ぼくがこの『ゲームライフ』を思わず買っちゃった理由なんですが、単純に著者に著しいシンパシーを感じてしまったから、ですね。
だって、著者はみんながアタリやセガでゲームしてるときにコモドール64でテキストアドベンチャーを遊び出し人生を変える子供ですよ。かたやぼくは中学生のときにPC-8801markⅡSRを手にして内心ファミコンをバカにしつつPCゲームで遊んでた野郎です。読みながら「ぼくはアンタの仲間ですよ」と声に出しそうですよ。
そして、読んでると「ああ、キーボードのテンキー以外を触ったのはどのゲームだったかな(『ザース』だったかな?)」とか「そういえばHP1って死ぬ直前?それでモンスターを攻撃できるのってどういうことだ(『ブラックオニキス』)」とか「何で食糧が減ってきたのにいつもどおり食っちゃうんだ(夢幻の心臓Ⅱ)」とか思いながらゲームをしてたのを思い出すんです。それが非常に心地良い。
ぼくも、PCゲームを遊び自分の中に自分だけの世界を構築し、その構築によって人生を少しずつ変えたり買えなかったりしてきた人間です。思えば、そういうゲームによる体験の中身は、同じゲームを遊んでも人によって違うものになるんです。同じ『ドラゴンクエスト』を遊んでもぼくのドラクエ体験とキミのドラクエ体験はきっと違うはずです。
他人のゲーム体験を読むのって滅茶苦茶楽しいんですけど、人生込みでそういう体験を書籍やサイトで読むことができるのって、ハッキリ言ってごくわずかしかない。そういう“固有の”ゲーム体験のひとつをガッツリ見ることができるから、ぼくはこの本にハマったんだと思います。
最後に
要は、人生をひっくるめたゲームの体験の思い出バナシなんですけども、それがまるで私小説のように書かれているのが面白いところです。
こういうのもっともっと読みたいですけども、ゲームの思い出バナシをここまで文学に昇華して書ける人はなかなかいないでしょうねぇ。ブルボン小林さんとかは書けそうかな。『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』の巻末のアレなんて、こんなカンジですね。
そして、読みたい以上に書きたいなぁ、と思ってしまった。しかし、ちょっとこのレベルは無理だな、当たり前だけど。あー文章書くのウマくなりたい。
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