仕事で栃木県下野市(ちなみに、しもつけし)の田んぼの中を車で走らせていると、カーナビに「孝謙天皇神社」という文字が。
「なんじゃこりゃ?孝謙天皇?なんで?孝謙天皇?ここに?」
頭がパニックになるぼく。
しかし、ひとつ頭によぎります。
「あれ?もしかして道鏡が左遷された場所って下野じゃなかったっけ?」
果たして、そうでした。
孝謙天皇と道鏡
孝謙天皇と言えば第46代天皇であり、史上6人目の女性天皇ですね。のちに重祚して称徳天皇となります。
この孝謙天皇が病に臥せったときに傍にいて看病していたのが朝廷に出入りしていた僧である道鏡で、それを期に道鏡は孝謙天皇の寵を得るようになり、のちには自らが天皇になることを画策して失敗(宇佐八幡宮神託事件)し、左遷されて下野国薬師寺別当となりました。
女性天皇から寵愛されたということで、道鏡は天皇と姦通していたとか巨根だったとかいう話が広がり、俗説として道鏡はスケベ坊主として定着してますね。
という話を以前書いたような…と思ってたら書いてました。
「下半身だけで天皇になる寸前までいったスケベ坊主すごい。」とか、我ながら無茶苦茶書いてますわ。
孝謙天皇神社で高笑い
で、孝謙天皇神社というのは、きっと孝謙天皇を祀ってるんでしょうなぁ。で、もしかしたらこれ道鏡が絡んでるんじゃないの?と思いつつ現地に行ってみました。
田んぼの中にいきなり小さな森があり、神社はその中にありました。
小さくて質素な神社ですね。
で、ここに孝謙天皇神社がある理由なんですが、脇にある案内板によると、やっぱり冒頭で書いたとおりでした。道鏡と孝謙天皇に関係して建てられたようですよ。スケベ坊主なのに。
「下野国薬師寺の別当に弓削道鏡が配流された」とあり、なんか簡単ながら推理が当たってぼくはひとりで嬉しくなり無意識にカラカラと笑ってしまってました。
そして、その続きを読んでぼくはもっと笑うことになります。
「女帝は配流された道鏡をあわれみ、この地にまえり病没したと言い伝えられています」
いや、天皇サンが下野に来んやろwww当時の坂東のイメージって頼朝のときより悪いでwww悪いというか鬼が住むとか言う場所やでwww来んやろwwwしかも都合よくここで死なんやろwww
めっちゃくちゃひとりで笑ってました。
まぁ、言い伝えですからね。
もしかしたら、道鏡はここに来てから結構な発言力を持ってたかもしれませんね。“都から来た高僧”を、現地の人は必要以上に畏れたはずですから。そして道鏡が「ワシのツレ、天皇なんやけど、今日来たわ」とか「ワシとずっといっしょに居たい言うてるわ」とか「なんか安心して安らかに死んでもうたわ」とか言ったのかもしれない。道鏡の性格を考えるとあり得ますね。そしてそれが言い伝えとして残ったと。
うーん、面白い。ぼくの勝手な想像ですけど。どうせ趣味なんだから歴史なんてこうやって楽しめばいいんですよ。
最後に
それにしても、天皇になるのは失敗しましたが、こんなところで爪痕を残していたとは、道鏡もなかなかやりよりますな。
歴史を趣味としてると、どこに行ってもこういう出会いがあるから楽しいですね。偶然見つけるのがまたいいんです。
こういうの、どんどん見つけたいなぁ。