以前、こんな記事を書きました。
『ドラゴンクエスト』は“逆風の中に生まれた”のではない - コバろぐ
権威あるゲームサイトが『ドラゴンクエスト』が苦境に立っていた日本のRPGをメジャーにした、みたいなことが書かれてて、それに反論したくて書いた記事です。詳細は省きますが。興味があったら是非一読を。
そしてこの記事は、こんな風に締めています。
『ドラゴンクエスト』は間違いなく偉大なゲームです。しかしそれ以前に数々の国産RPGの傑作があり、それらを取り巻いたぼくらの熱気があり、それゆえに『ドラゴンクエスト』は誕生したのだ、ということは分かっておいてもらいたい。
今回は、じゃあその数々の国産RPGの傑作って何なのか、をダラーンと書いてみたいと思います。
1985年以前のRPG
ぼくらが熱気をもってRPGと接していたのは1985年くらいからだと思います。特に後半というか年末には怒涛の新作ラッシュがあり、ぼくらは狂喜乱舞してそれらをプレイしたものです。ハッキリ言って、RPGブームでした。
しかし、それ以前はやっぱりアドベンチャーゲームが主流で人気があり、RPGは一部マニアがプレイするもの、みたいなイメージはあったと思います。一部マニアの趣味であったパソコンゲームの中の、さらに一部マニアのモノ、みたいな。
では、まずはその時期のRPGを見てみましょう。
あ、はじめに断っておきますが、何度も書いてるようにぼくは88ユーザーだったので、申し訳ないけどその目線から、になりますけど。
1983年の5月に光栄が『クフ王の秘密』というゲームをリリースしていますが、これが広告にも「日本初のRPG」と銘打たれています。光栄はその後も、8月に『剣と魔法』、12月に『ダンジョン』をリリース。このころは光栄もいろいろやってたんですね。
光栄以外にも細々とRPGをリリースするメーカーがぽつぽつ出てきて、例えば大名マイコン学院が『ポイボス』、日本マイコン学院が『バウンドット』をリリース(マイコン学院て何やねん)、そしてのちにRPGメーカーとして人気を博す日本ファルコムが『ぱのらま島』をリリースします。
しかし、時代はやっぱりアドベンチャーゲーム。海外の『ウィザード&プリンセス』が1983年5月に日本のパソコンに移植されてからは、エニックスの『ポートピア連続殺人事件』やマイクロキャビンの『ドリームランド』、T&Eソフトの『惑星メフィウス』、ハドソンの『デゼニランド』など、名作が目白押しの時期です。
そして、1984年1月、ひとつのRPGが生まれます。日本ではこのゲームによってRPGの面白さが認知されるようになったといってもいいし、日本のRPGのルーツといっていいのかもしれません。
それが、BPSの『ブラックオニキス』。
イロイッカイズツ…初の国産RPG『ザ・ブラックオニキス』の話 - コバろぐ
この『ブラックオニキス』以後、3月にクリスタルソフトの『夢幻の心臓』が登場し、9月に『ブラックオニキス』の続編『ファイヤークリスタル』がリリースされ、パソコンゲーマーの目がRPGに向いてきました。
そして1984年が終わろうとしているころ、2つの偉大なRPGがリリースされます。日本ファルコムの『ドラゴンスレイヤー』とT&Eソフトの『ハイドライド』です。この2本が日本におけるRPGブームの扉をこじ開けたのは間違いありません。2本ともセールスも順調快調で、パソコン雑誌の売上トップ10には常に名前が載ってましたし、間違いないでしょう?
1985年後半にRPGがどんどんリリースされていったのは、この2本の成功があったればこそでしょう。「売れるなら作ろう」ってメーカーがそうなるのは当然ですから。
ここで、翌年のRPGブームの土台ができたわけです。
1985年のRPG
さて、ここからが今回の本題です(前置き長いな!)。
1985年のRPG!
まず、2月にクリスタルソフトの『ファンタジアン』が登場します。これは『ハイドライド』の次にぼくにファンタジーの世界とRPGの面白さを教えてくれたゲームです。書こう書こうと思ってまだ書いてないけど、その辺は是非書きたい。クリスタルソフトはブームの前から一生懸命RPGを作ってたメーカーで、『ブラックオニキス』や『ハイドライド』にブームの火付け役の功績を奪われたのは不憫だなぁ。
そして4月にはナムコの『ドルアーガの塔』に強く影響を受けた『デーモンクリスタル』が登場。『デーモンクリスタル』は最近Nintendo Switch版が登場して一部界隈を喜ばせました。ぼくも喜んで記事書いてます。
ついに『デーモンクリスタル』がニンテンドースイッチで発売決定!動画でチェックしよう! - コバろぐ
その後、マジカル・ズゥの『ザ・スクリーマー』や光栄の『アクシオム』、HOT・Bの『カレイドスコープ』、ウィンキーソフトの『アークスロード』やスタークラフトの『上海』、BPSの『イプシロン3』、そして工画堂の『覇邪の封印』やシステムサコムの『メルヘンヴェール』など、意欲的なRPGが数多く登場するようになります。明らかに1984年よりも多く、ブームに向かってどんどんムードが高まってるカンジでした。
ぼくらも自分で買ったり友達から借りたり貸しソフト屋で借りてきてコ〇ーしたりして数多くのRPGに触れることができました。
さて、1985年後半になると怒涛の新作ラッシュが始まります。おそらく、『ドラゴンスレイヤー』と『ハイドライド』の成功を見てから作られた作品たちです。
10月に工画堂の『コズミックソルジャー』、ザインソフトの『トリトーン』、光栄の『タイムエンパイア』、そして日本パソコンゲームの金字塔、日本ファルコムの『ザナドゥ』などが登場。特に『ザナドゥ』の人気はバケモン級でした。ぼくには合わなかったけど。
『XANADU(ザナドゥ)』とかいう、ぼくがハマれなかったPCゲーム史上に燦然と輝く金字塔 - コバろぐ
そして10月のトドメに『ハイドライド2』!
『ドラゴンスレイヤー』と『ハイドライド』がRPGブームの扉をこじ開けたと書きましたが、ここにきてそのブームを決定づけたのがそれぞれの続編である『ザナドゥ』と『ハイドライド2』なのです。いやスゴい。
そして11月に『夢幻の心臓Ⅱ』が登場しましたが、これはもう当時のパソコンゲーマーはみんな遊んでたと思います。
RPGブームの核は、『ザナドゥ』と『ハイドライド2』と『夢幻の心臓Ⅱ』です。もし将来、コンピュータゲームの歴史なんてことを学校で習うようになるならば、必ずテストに出るところですよ。
ちなみに、ブームに乗っかれ!って感じで『ウィザードリィ』や『ウルティマⅢ』もこのあたりで日本のパソコンに移植されました。遅い!
1985年以後のRPG
1985年後半に巻き起こったRPGブームは、1986年になっても終わりませんでした。
ランダムハウスの『リグラス』、データウェストの『マーベラス』なんて秀作も登場しましたし、あのRPGの祖である『ローグ』も移植されました。
ああ、スクウェアの『ブラスティー』もありましたね。
『FF15』のとある噂を聞いて、思い出したのは『クルーズチェイサー・ブラスティー』 - コバろぐ
1986年は、ほかにもウィンキーソフトの『ロストパワー』や呉ソフトウェアの『アルゴー』みたいな意欲作まで出てきましたし、海外の『ファンタジー』も移植されたり、パソコンRPGブームも成熟してきたなというカンジですね。クリスタルソフトは『バビロン』とかで明後日の方向に行っちゃった感がありますけど。
そして、1986年6月に日本のゲーム史上最大といってもいいエポックメイキングな作品が登場していますね。
『ドラゴンクエスト』です。
『ドラゴンクエスト』は、RPGをファミコンに乗っけたってだけで堀井雄二さんはじめ開発と販売にかかわった方々に最大の賛辞を与えていいゲームです。
しかし、ぼくらパソコンゲーマーはあんまり面白くなかったりしましたね。マニアックなところでヒッソリとパソコンゲームを楽しんでるのにファミコンて!とか言って。そこから「『夢幻の心臓Ⅱ』のパクリだ!」なんて話も出たりして。まぁ、ドラクエの開発時期を考えると、大いに参考にしたのは間違いないでしょうけど。「ドラクエパクり疑惑」も書こう書こうと思って書いてないやつです。念のため言っとくと、今はパクったなんて思ってないですけど。
ドラクエのことを当時のパソコンゲーマー視点で語ってみる - コバろぐ
さて、1987年になると光栄の『三國志』、システムソフトの『大戦略』がリリースされてからかなり時間が経つのにジワジワジワジワ売れて広まってきてシミュレーションゲームのブームがやってくるんですが、それでも工画堂の『サイキックウォー』、日本ファルコムの『イース』、ハミングバードソフトの『ラプラスの魔』などの名作は生まれています。あ、『マイト&マジック』が移植されたのもこの年だったかな?
とにかく、全然ゲームシステムとしては衰えていないし、むしろ今日まで続く日本のコンピュータRPGの土台を固めに固めたカンジはしますね。
最後に
いかがでしたか。日本のRPGの基礎が出来た時代の作品たちは。ってタイトルを羅列してるだけですけども。
気楽に書き始めたんですが、出るわ出るわ、いや、改めて書いてみると素晴らしいRPGがいっぱいリリースされて、幸せだったなぁと思います。しかし、当時中学生だったのにそのほとんどを遊んでるのはどういったことだろう。やっぱり借りてきてコ〇ーできたのは有難かったんだなぁ。
ここに書いたゲームはいずれ1本1本取り上げて記事にしていきたいと思います(無理)。
今まで書いたレトロパソコンゲーム記事まとめ 『ハイドライド』から『177』まで - コバろぐ